院長のプロフィール
院長の経歴
先生の生い立ちを教えていただけますか?
20世紀のちょうど真ん中、香川県高松市で生まれました。讃岐うどんで有名なあの「うどん県」です。両親は当時、四国で一番大きな菓子問屋を営んでいて、私は男ばかりの四兄弟の2番目。専ら遊び場はお菓子の倉庫でした。友達からは羨ましがられて育ったお菓子の家でしたが私はあの甘い匂いが大嫌いでした。サングラスに風呂敷をマントにした月光仮面ごっこが大好きな子供でした。
中学2年の夏休み、突然母が亡くなり(今なら脳出血の診断だったと思いますが)我が家は男ばかりの家族になり、皆からは私が女の子だったらよかったのにと言われていました。母は36歳で亡くなったのですが、父もまだまだ若かったのですぐに再婚の話があったようです。母の亡くなる前の年、一番下の弟が亡くなり、母の後を追うように祖母がなくなりと我が家は葬式続きでした。
義理の母を迎える頃、高校生になっていた私は高松を離れ、東京の明法学院という全寮制の学校へ入っていました。母のいない寂しさは全寮制という環境がすべて打ち消してくれました。高校の3年間はひたすら剣道ばかりに夢中でした。
将来の職業として私は経営コンサルタントを夢見ていました。その頃父が事業に失敗して私は金銭面でも親から自立することになり、特別奨学生として大学に進んだものの勉強するより生活することの方が忙しい毎日でした。経営コンサルタントに憧れて経営学部に進学したのですが、当時有名な経営コンサルタントの先生が自ら経営する会社が倒産するという事態を非常に複雑な気持ちで接して、私は大学を中退。頭でっかちにならずに実力をつけることが一番だと考えて社会人になりました。
東京での一人暮らしで、それまでの神経質な性格が一挙に楽天家へ変わり、営業一筋に仕事に打ち込み、25歳で職場結婚。すぐに長女が生まれ、続いて長男が誕生。東京で暮らすより何処か気候が温暖で海の見えるところで暮らしたいと思うようになり、静岡県富士市に移り住むことになりました。富士市は妻の実家のあるところですが、私にとっては家族以外誰ひとり知人もいない町でした。
なぜ治療師になったのですか??
私は営業マンが最も適していると思っていたのですが、会社の都合で管理職になったり、経理部に配属されたりと様々な職種も経験しました。
そんなある日、取引先の社長が私を治療してやるというのです。それは当時珍しく「カイロプラクティック」という施術で私を専用のベッドへ寝かせて、背骨をボキボキと矯正するのです。初めての経験と社長が別の顔を持って先生と呼ばれているのが何となくかっこよく、私も教えてもらいたいと思いました。
ちょうど子供が松井やイチローに憧れるように、私も治療師の先生になりたいと思いました。その社長の紹介でカイロプラクティックの技法を学べる団体へ加入、休日ごとに勉強会で学んでおりました。
私が治療師になろうと決意したのは師と仰げる先生との出会いでした。
その師匠と仰ぐ先生は?
それは佐藤和市DC(ドクターオブカイロプラクティック)です。アメリカの大学から帰ってきたばかりの先生で、眩いぐらい新鮮に映りました。東京衛生学園での講習会で先生が講師として「和漢構造論」という先生が考案した独自の理論を学んだ時です。先生は「教えるということは原理原則を教えること」で、小手先の技法を教えるのではないと。原理・原則を学べと私は翌年、先生の主宰する「和漢塾」に入塾し、20数年間学び続けることになります。
先生の開業や資格取得の経緯は?
会社勤めで配属替えがあったのを契機に自宅で開業しました。30年も前のことです。当時は時代が良かったのか、運が良かったのか、開業初月から100名を超える患者さんに恵まれて、それ以来、綱渡りのような生活でしたが何とか治療院を運営することができました。自宅で治療をしながら、呉竹鍼灸専門学校へ通い、国家資格もいただきました。
その後は順調でしたか?
いえ、開業からしばらくは好調でしたが、治せるようになればなるほど患者さんは減りました。ほとんどの患者さんは喜んで帰って行くのですが、経営状態は火の車でした。友人の治療家に相談すると「先生は治し過ぎるから繁盛しない。」と(笑い)
でも治療師は治すことが仕事ですよね。当時、家も新築したばかり、子供の教育にもお金がかかる。しかたなく夜はアルバイトをしながら家計を支え、妻にも働きに行ってもらいました。治すことへのこだわりを捨てずに時が流れました。
そのころからからの患者さんもいらっしゃると聞いていますが・・
はい、なかなか治せない人たちはわたしの治療に期待して今も通っていただいている方も多くいます。世の中は癒しブームになり、クイックマッサージのヒット。その後、寝たきりの人への訪問リハビリマッサージなど治療業界も移り変わります。
そんな中、「なぜ治るのかを上手く説明できない」ことにこだわっていました。
遠絡療法との出会いは?
2008年夏、より良い治療を探し求めていた私は、どんな痛みもしびれも一瞬で消すことができるという「遠絡療法」に興味をそそられ、初級セミナーを受講しました。その後、学べば学ぶほど分からなくなるこの治療にどんどん引き込まれていき、遠絡治療以外は考えられなくなりました。柯 尚志先生との出会いが人生を変えました。
その遠絡療法ってどんな治療ですか?
一言でいえば、生体の流れをスムーズにする治療です。体の中には血液やリンパ、髄液、神経など様々なも のが流れています。その流れが滞ると症状が現れます。その流れをスムーズにすれば、症状が消えるのです。
もう一つの特徴は中枢を治すことにあります。現れている症状は桃の木でいえば、桃の花の不調です。遠絡療法は花の剪定をしないで、幹の治療をすることです。桃の木全体、水や養分、日光などの環境や種(体質)まで考える治療です。
先生は遠絡治療指導師(CS)の肩書がありますが・・・・
遠絡療法は5段階にわたってステップアップしながらセミナーを受講していきます。ABCDEとコースが進んで、Eコースまで行くと治療指導師、指導医の資格試験が受けられます。合格するとCSの資格が得られます。柯先生や他のCSのドクターと連携して治療ができるのです。資格は毎年、更新制です。
プライベートのことをお聞きしますが、ご家族は?
妻と長男の3人暮らしです。近くに娘家族がおり、孫が3人います。休みはほとんど孫たちと遊ぶのが楽しみです。
これからの夢があったら聞かせてください。
どこへ行っても治せない症状や病気を治すことで一人でも多くの人を救い、その人を通して世の中を明るくしていくことです。これは遠絡治療指導師の使命です。遠絡医学の創始者柯 尚志 医師の使命でもあります。
私は死ぬまで治療師として人を助けていこうと思っています。
○ありがとうございました。私も院長の治療を受けたくなりました。